他山之石 可以攻玉
中国最古の詩集『詩経』に「他山之石」(たざんのいし)という言葉があるそうな。
「他山之石 可以攻玉」(たざんのいし、もってたまをおさむべし)
(他の山から出る悪い石でも、自分の玉を磨くことができる)
ということらしい。いわゆる「人のふり見て我がふり直せ」ということだ。
「五体不満足」の著書で知られる、乙武さんのツイートが炎上しているのを見て、ふと調べてみた。
そもそもの発端は、銀座のイタリアレストランに入店する際の店員とのやり取りにあったようだ。
自分がその場にいたわけでもないし、そのレストランを知っているわけでもないので、
詳細についてここて述べるつもりは毛頭ないのだが、炎上後の乙武さんのブログコメントには正直驚いた。
イタリアン入店拒否について | 乙武洋匡オフィシャルサイト(かなり長いので要覚悟)
ま、簡単に言えば、単なる言い訳にしか聞こえない。
乙武さんの言い分を否定するつもりはない。
おそらく彼は自身が受け取ったこと(言葉)を忠実に表現しているのだろうが、人とのコミュニケーションには「言った、言わない」でトラブルになることが多々あることを、わかっているのだろうかと疑問に思う。
正直、彼に対してこれまで好感をもったことはない。
それは「彼自身が弱者という仮面をかぶった強者に見えて仕方がなかった」からだと今回の一件で腑に落ちた。
でも、それでも彼が行ってきたこれまでの行為は正しいことばかりだとは思っていたけど、今回ばかりは残念で仕方がない。
メディアを通した自分の言葉の強さ、暴力的な意味合いがある部分を、彼はまるで理解できていない。
まるで拳銃を手にした子供のようだ。使い方を知らず振り回してしまっている。
さんざん店側を公の場で実名で攻撃するも、炎上するや自己防衛とも受け取れるブログの更新。
長々と自己主張を繰り返し、変わらず店側の態度を否定しながら、文章の結びが変わらず上から目線。
(以下ママ引用)
P.S.でも、やっぱり、店主がお許しくださるのなら、いつの日か再訪してみたいな。だって、お店の料理、本当においしそうだったから。
反吐が出そうになった。
どんなに正しい行いであろうと、さんざん人を殴りつけておいて、言えるセリフではない。最後まで原因は相手のみにあるという言い回し。
「他山之石 可以攻玉」(たざんのいし、もってたまをおさむべし)ということだな。