#YoshikazuBlog

気になったコト。気に入ったモノ。 自分の思ったことを徒然に書いてくブログ。

99% ありがとう

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前の会社のオフィス裏には、まぁ少し洒落ていて雰囲気のいいカフェレストランがあって、何か気分がいい日には仕事中でも、テラスでビールを良く飲んでいた。いまでも仕事の移動中にその駅を通るたびに、あの時間を思い出して、ちょっと切なくなったり、前向きな気持ちになったり、いい意味での励みをもらういい思い出。
あのテラスで叱られたり叱ったり、褒めたり慰めたり、悩みを言ったり聞いたり。天気のいい日のテラスと、夜のキャンドルの明かり。転職してから一度も行ってない。

3年前、後輩のHIROから病気の話を聞いたのもあの場所だったなぁ。


HIROは、2010年にALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を発症、闘病を続けている。

HIROと最初に出会った思い出は、決していい印象じゃなかった。
生意気で自信家で、周りを巻き込み、可愛がられている彼に嫉妬していたのかも知れないな。
一緒に仕事をするようになると、すぐに一緒にビールを飲むことになって、そしてすぐに仲良くなるんだけど・・・

それは上司と部下、先輩と後輩というよりも、兄弟に似たような感覚。
なので、初めて病状について話を聞いた時、聞いている自分も動揺し、内容を受け入れられないにも関わらず、彼自身の気持ちをどのように汲めばいいのかもわからなくって、どんな反応をしたのか、今ではあまり記憶がない。
アタマのなかではちょっとパニックになっていたのに、冷静になろうとした記憶だけはあるかな。

別の会社に転職することになったとき、かなり早いタイミングで彼にはメールで報告した。
メールの返事なんて、いつもこないクセにその時だけは、すぐに返事をもらい、暖かく心強いメッセージをもらった。

facebookというのは、とても便利。でも残酷だなと思うときもある。
離れてしまった友人らの近況が聞こえてくるだけでなくて、目で確認できるのは、まるでその場所にいるような感覚で、とてもいいことだと思う。
でもその感覚も最初だけで、少しづつ縁遠くなっていく寂しい現実感が生まれることもある。

みんなといたはずのその場所に自分はいない。という事実。
転職という新しい道は自分で選んだので、当然何を言っても仕方のないことなんだけど、たまにこうして、後ろめたさと寂しさが同居する時がある。身勝手で気持ちの良くない感覚。天の邪鬼で自意識過剰、思い上がりの強いイヤな自分に気付く苦々しい時間。

そんなことを漠然と考えているころ、彼が書いた本が発売された。

99%ありがとう ALSにも奪えないもの (一般書)

99%ありがとう ALSにも奪えないもの (一般書)

体を思うように動かせない彼は、アイトラッキングというシステムをつかって、「目」で言葉を綴っている。気管切開をした今では声を失い、生意気なあの口調までもが聞けなくなってしまった。

けど、、、

彼が書いた本は、着飾った文章なんかじゃなくって、「書いた」というより「聞いている」感じに近かった。
あの時、あのテラスで、馬鹿話をしながらビールを飲んで騒いだ時間。
そんな素敵な時間を鮮明に思い出させてくれる本でした。

文字から声が聞こえてくるって感覚は初めてです。
HIRO、また君の「やべぇ、チョー、うめぇっす!」ってアホ顔を見ながらを飲みたいよ。