走ることについて語るときに僕の語ること
子供の時は本当に本を読むのが苦手だった。
学校で読書感想文なんて宿題が出るたび、苦痛で、何を読めばいいのかと考える前に、どうやって誤摩化そうかと言うことしか考えていなかった記憶がある。
小遣いをもらうために、何度も「本を買うから」と嘘をついたが、そんな嘘を親が見破れない訳もなく、中学校はおろか、高校を卒業する頃になるまで、まるで本(というか文)というものに興味を持つことはなかった。
そんな自分も、今では趣味に「読書」と月並みなことを書いたり、話したりするわけだが、そんなきっかけを与えてくれたのは、実は村上春樹である。
前にどこかで書いたことがあるかも知れないが、20歳を迎える頃の自分は本当に暗黒時代で、1人で船に乗って旅に出させられたような感覚があり、「やれる」という想いと、「やってやる!」という意気込みと、それらと同じか、それ以上の不安感を持っていた。
そんな時に出会った「ノルウェイの森」は、そんな自分の生々しい部分を表現しているようで、恥ずかしくもあり、気持ちよくもあり、情けなくもあるような不思議な感覚をくれた本。
自分の気持ちに素直になることは、自然で、そして格好をつける必要のないことなのだと、教わったような気分だった。
村上春樹の著書はほとんど読んでいるにも関わらず、彼のエッセイについては触れる機会がなかったが、ふと縁があって、「走ることについて語るときに僕の語ること」という本に出会った。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2010/06/10
- メディア: ペーパーバック
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少し長くなるけど、心から共感し、何度も読み返した箇所を抜粋する。
誰かに故のない非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつでも少しだけ長い距離を走ることにしている。いつもより長い距離を走ることによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する。いちばん底の部分にフィジカルに認識する。そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体を、ほんのわずかではあるがあるけれど強化したことになる。腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。
自分がいつ死ぬかはわからないが、今の自分は過去の積み重ねがあるからだと思うし、今の自分はこの先の成長のためのステップでしかないと思ってる。
死に至るその直前の生き方が、自分の生涯を決めると思う。
だから自分は、過去を否定できないし、未来を不安に思わない。
そしてそんな意味のない人生なんて送りたくないと、強く心から思う。(というより願う)
この本の結びのフレーズ。
もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのなら、このように刻んでもらいたいとおもう。
村上春樹
作家(そしてランナー)
1949〜20**
少なくとも最後まで歩かなかった
他の人がどう感じるかは別として、人生を生きて行くうえで、これほど共感したことはない。